多和田選手の戦力外通告に際して思い出を語る

2021年10月11日ライオンズライオンズ,埼玉西武ライオンズ,多和田真三郎

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去る10月5日。
2人の選手に戦力外通告が出された。


1人は2018年育成2位指名の大窪士夢選手。

ほぼ2mの身長から放たれるカーブを活かした、緩急のある投球が魅力的な投手であったが育成契約ということもあり残念ながら通告を出されてしまった。

そしてもう1人、戦力外通告を出されてしまった選手がいた。

それがタイトルにもある通り多和田真三郎投手である。

大変個人的なことではあるが多和田選手の戦力外通告には非常に大きなショックを受けた。

なぜなら私が最もドラフトに夢中だった時に指名された選手であり、なおかつドラフト指名を受ける前から応援していた選手だからである。

間違いなく今年までに所属していた投手の中で最も好きだった選手といえよう。

そんな選手なだけあり、正直なところ今年2軍ですら登板がなかったことから薄々覚悟はしていたのだが、やはり記事になり戦力外が確定となると辛いものがあった。

だが今後彼がどのような道をたどるのかはわからないがひとまずはライオンズでのプロ野球選手人生は終わりとなることは確定してしまった以上は受け入れるほかない。

しかしただ無言で受け入れるには名残惜しく、このままお別れというのは心残りである。

そこで今回の記事で多和田選手の軌跡をなぞり、彼が歩んできたプロの道のりを振り返りつつ、思い出を振り返っていきたいと思う。

そのため今回の記事はいつもの考察などではなく多和田選手について筆者が特に覚えていることを
・ドラフト前
・プロ入り後
・今後
にわけただただ綴るだけになる。

もしそれでもよいというなら最後までお付き合い願いたい。

ドラフト前

私が多和田選手を知ったのは彼が2年生の時、富士大学の先輩である山川選手がライオンズからドラフト2位で指名されたことがきっかけだった。

(当時は)ほとんど聞いたことのない大学から2位という高順位で、ドラフト上手なライオンズが指名したということで富士大学自体に興味を持ち成績を流し見していた時に彼が目に留まった。

地方リーグとはいえ空前ともいえる成績を残していたためである。

以下が当時の彼の成績である。
(データはドラフトレポートさんから(https://draftrepo.blog.fc2.com/blog-entry-1344.html))

試合勝敗回数被安奪三四死自責防御率
12春:63勝2敗35.22830771.77(4位)
12秋:93勝3敗612269920.30(1位)
13春:75勝1敗49.1434711132.37(3位)
13秋:65勝1敗40.22735571.55(4位)

しかもこの好成績に加え1年生にしてノーヒットノーランまでも達成していたことやその特徴的な低く沈み込むフォームから放たれる蛇のような直球に一目ぼれし、この選手にライオンズにきてほしいという思いを強く持つことになった。

さらに1年後に同じ富士大学から外崎選手が指名されたことから富士大学とライオンズとの間に太いパイプができていることを確信しより多和田選手の獲得に胸が高まった。
(当時は外崎選手が多和田選手を指名するための指名なのでは?と推測されてもいた
まあそれなら3位なんて高順位で取らないだろうしドラフト直前ではバカスカ打っていた(OPS1.236)ので純粋に実力指名だったと思うが)

そしてきたる2015年ドラフト当日、ライオンズは前年の髙橋光成選手と同じように1位で多和田選手を指名することを公言し実際に単独1位指名で指名権の獲得に成功した。

多和田選手は当時ケガをしており、ドラフト会議直前の秋のリーグでは全く投げておらず指名されるのか心配だった。
そのため彼が指名された瞬間の安堵・喜びは格別なもので私のドラフトの中で最も嬉しい瞬間だったといっても過言ではない。

それほど嬉しい指名だった。

実際のところ2015年のドラフトでは多和田選手は大学生投手の中では注目度が高く、もしケガがなければ他球団も狙っていたためライオンズに加入しなかったのかもしれない。
そういった意味では彼のケガはライオンズに取って塞翁が馬だったのかもしれない。

とにもかくにも多和田選手は大学時代は以下のような圧倒的な成績を残しライオンズに加入することとなった。

試合勝敗回数被安奪三四死自責防御率
12春:63勝2敗35.22830771.77(4位)
12秋:93勝3敗612269920.30(1位)
13春:75勝1敗49.1434711132.37(3位)
13秋:65勝1敗40.22735571.55(4位)
14春:65勝1敗5127581671.24(1位)
14秋:55勝0敗33.22045710.27(2位)
15春:76勝0敗45581210.20(2位)
15秋:登板無し
通算:4632勝8敗316.134267 381.08

他のファンがどう思っていたのかはわからないが、少なくとも私としてはヤクルトの小川選手、楽天の則本選手のようなエースになってくれると大きな期待感を持って彼の加入を歓迎した。

プロ入り後

2016年

ただ多和田選手のプロ生活は前述した小川・則本選手ほど順調には行かなかった。

大学時代のケガもあったことから開幕ローテに入ることもなく、ややスローな調整が続きプロ初登板は5月14日と即戦力が期待される大学生ドラ1としてはやや遅いスタートになった。

そして彼にとっての開幕戦、球場は札幌ドームということでやや投手有利な球場である。

どんな投球をしてくれるのかとワクワクしながら見ていたのを今でも覚えている。

結果としては1回は三振を含む3者凡退と完璧に抑えたものの2回は3本の安打を浴びた後、3者連続の押し出しを許しあえなく降板となってしまった。

しかし1回に見せた素晴らしい投球が目に焼き付き、さすがはドラ1と大変贔屓目な評価をし次の登板以降も注目して追っていた。

そして6月10日の中日戦、彼はついにその潜在能力を発揮した。

相手は当時防御率2.61&3勝1敗
と安定した投球をしていたジョーダン選手

対して多和田選手は防御率7.80&0勝2敗

どう贔屓してもいい成績とはいえなかったため試合前は多くのファンが負け濃厚と考えていただろう。

だが多和田選手はジョーダン選手の好投に呼応するかのように0を積み重ね、プロ入り後ベストピッチといえる8回無失点という抜群の投球を成し遂げた。

試合はお互いに11回まで点が入らず、最終的には秋山選手のサヨナラヒットで決着となったためプロ初勝利はならなかったがまさしくドラ1の力を発揮したのだ。

そしてその次の登板ではプロ初勝利を飾り、スタートこそ遅れたもののプロとして確実に1歩を踏み出していった。

しかしチーム状況は芳しくなかった。

6月中旬の広島戦でのサヨナラコリジョンが尾を引いたかのように6月中旬から8月中旬までの約2か月で13カード連続で負け越し。
チームは20個以上の借金を背負うこととなってしまうなどチーム状態はどん底ともいえる状態だった。

だがそんな窮地を多和田選手は救った。

8月11日、相手はこの年優勝し15連勝を達成するなど勢いに乗っていた日本ハム。
しかも相手はこの年先発に転向し7連勝をするなど抜群の安定感を誇った増井選手。
勢いという面では完全に相手にもっていかれていた。

しかしそんな試合で多和田選手は見事に9回を無失点に抑えプロ初完投・初完封を達成。
チームにとって2か月ぶりのカード勝ち越しをもたらすとともに、この年の増井選手の唯一の先発黒星をつけるまさしくライオンズの18番といえる大投球だった。

その後ライオンズは息を吹き返しその後の試合を22勝14敗と非常にいいペースで勝ち星を積み重ねることができた。
多和田選手がもたらした勢いといってよいだろう。
また多和田選手自身も勢いに乗り、5連勝といういい形で2016年シーズンを終えることができた。

特に9月7日に記録した15奪三振は松坂選手以来の記録でその背番号に恥じない活躍だと大変感激したものだった。
(今年のライオンズの中で2桁奪三振を記録したのは今井選手が1回と松本選手の2回だけ)

結果的に2016年シーズンは

防御率4.38 7勝5敗 98.2イニング 2完投 被弾6 奪三振91 四球40
特にオールスター後は防御率3.34 6勝1敗

少し防御率が物足りないかもしれないが、今年のライオンズの投手陣で2度9回を投げ切った選手がいないこと
また投球内容自体は防御率と比べてもよかった(tRA3.78)こと
これらから翌年以降はさらなる活躍が期待された。

2017年

だが2017年になり辻政権に代わっても開幕は躓くこととなる。

順調に開幕ローテに入れたものの4戦連続で炎上。

4回6失点
3回3失点
6回3失点
5回5失点

特に昨年は100イニング近く投げて6被弾しかしなかったのがこの年は僅か18イニングで5被弾と完全に調子を崩してしまった。

持ち前の直球が唸らずやきもきしていたため4月25日の登板を最後に2か月以上2軍で調整することになったときはしっかり調整してくれという思いでいっぱいだった。

だが心配とは裏腹に6月28日に沖縄で凱旋登板を果たし、さらに7月10日のロッテ戦で6回3失点と試合を作り2017年の初勝利を挙げてからはまさしく覚醒。

7月22日のAS後の初めての登板からの10登板は

7 回無失点
7 回無失点
4.2回 5失点
9 回無失点
9 回無失点
6 回 5失点
4.2回 2失点
7 回無失点
7 回 1失点
6 回 1失点

と時々爆発しながらも抑えるときは完全に相手を抑えきり6度のHQS・2完封を記録
AS後の防御率は1.87と同年大エースだった菊池雄星選手の1.97よりもさらによい数値で右のエースとして君臨した。
また2試合連続完封は2008年の帆足選手以来と10年ぶりの記録も達成していた。
チームも13連勝を記録し、前年までの3年間で正直離れかけていた気持ちがぐっと引き寄せられた。

今振り返ってもこのときの13連勝や多和田選手の快投がなかったらツイッターもしていなかっただろうしこうしてブログを書くこともなかったと思う。

この年は昨年よりも2軍生活が長かったこともあり勝ち星とイニングは昨年よりも減ってしまったものの

防御率3.44 5勝5敗 96.2イニング 2完投 被弾11 奪三振74 四球26
オールスター後 防御率1.87 4勝3敗

とローテ投手としては十分な活躍で、特に序盤の躓きさえなければタイトルを獲得してもおかしくない投球だった。

そしてその反省は翌年活かされることとなる。

2018

この年はオープン戦は大変グダグダ(防御率10.13)で昨年のように開幕から躓くのではと心配した。
だが昨年の反省を活かし開幕してからは大変快調な投球を披露。

3.4月は防御率2.06 5戦5勝の大活躍でチームに勢いを与え自身初の月間MVPを獲得した。

その後は昨年と同じように時折炎上しながらも完封や2試合連続完投を記録するなどして順調に勝ち星を積み重ねる。

特に多和田選手を代表する投球だったのが8月14日のオリックス戦。

初回に多和田選手は浅村選手のエラーや暴投、不運な当たりなどで6点を先制されてしまう。
しかしその後は6失点がなかったかのように好投。
結局2回以降は無失点に抑え8回まで投げきった。

しかもこの年の打線は山賊打線。
少しずつ点を返し8回には中村選手のタイムリーで同点として多和田選手の負けを消すと最終的には10回に3連続ヘッドスライディングでサヨナラ勝利。

しっかり粘って投げられる多和田選手と猛烈と言うほかなかったこの年の打線の特徴が詰まった見ていて楽しいゲームだった。

ルーキー時代から代表的な球だったスライダーを筆頭にしながらも徐々に使えるようになったフォークも武器とし1年間完全にローテに定着。

9・10月も調子を取り戻し防御率1.54 5戦4勝で再び月間MVPを獲得した。

結果的に一時離脱することもあった菊池雄星選手よりも投げリーグ2位の172.2イニングを消化。

防御率3.81 16勝5敗 172.2イニング 5完投 被弾12 奪三振102 四球47

と防御率こそそこまで傑出したわけではないが多くの勝ちを積み重ね最多勝を獲得
完投もリーグ1位とイニングイーターとしての素質を見せつけた。

しかしこの年長年ローテを支えたエース菊池雄星選手が渡米。
多和田選手にはエースとしての重圧がかけられることとなった。

邪推はするものではないがこのプレッシャーが彼にとっては大きな負担になってしまったのかもしれない。

2019

この年はキャンプに入るまで首脳陣とも連絡が取れないなどと不穏な出だし。

オープン戦では炎上したものの開幕以降4戦は昨年に近い投球。
特にオリックス戦での快投は目が覚める思いだった。
最後のロメロ選手への4球連続インローは今見てもしびれる思いでこれぞ18番を背負う男と改めて感じたものである。
まさかこれがライオンズでの最後の勝利になるとは思いもしなかった。

この快投以降はQSもなかなか達成できず約2年ぶりに1軍登録を抹消。

不整脈であることが発覚し、またその原因が自律神経失調症と発表されるなど優勝したチームとは裏腹のシーズンとなってしまった。

防御率5.83 1勝6敗 66.1イニング 1完投 被弾8 奪三振37 四球25

2020

この年は前年の病気もあり、しばらくは契約保留選手として練習に参加。

7月30日に契約され8月には1年ぶりの登板を果たした。
このとき仙人のような姿になっていたのは大変印象的だった。
それでも投げれる姿を見て大変嬉しかった。
あの時に記念という形で放送してくれたイレブンスポーツさんには感謝だ。

この年は2軍で5試合に登板し勝ちも上げたもののまだ体調が万全でなく育成契約選手となった。

(2軍)防御率3.65 1勝2敗 24.2イニング 被弾5 奪三振13 四球4

2021

この年は2軍でもほとんど情報がなく、残念ながら冒頭で述べたように戦力外通告を出されてしまった。

多和田選手の今後

ここまで6年間の多和田選手のキャリアを振り返ってきたがやはり改めて振り返ってみても大変魅力のある選手だと思う。
ぬるぬる動くスライダー、蛇のように食い込む直球、タイミングを完全に外すカーブ、徐々に武器にしたフォーク
どれも彼特異の球で見ていて楽しい投手だった。

確かに三振をガンガン奪うタイプではなかったためそこまで目立つ存在ではなかったかもしれないし、最多勝を獲得した時も防御率はそこまでよかったわけではなかった。

だが彼特有の低いフォームから放たれるシュート回転の強いボールは確かに右打者を苦しめ右打者から痛打をされることはほとんどなく、相手を討ち取ることに優れた投手だった。

そして彼の存在の大きさはライオンズファンであるほど感じているのではないだろか?

実際のところ彼が実質4年間の間に稼いだWARは10を超え、2018年には両リーグ合わせても6位に食い込むWAR5.0を稼ぐなどセイバーメトリクスの視点では非常に優れた投手であることがわかっている。

2015年以降では最も貢献したドラ1であることは間違いないだろう。

いま彼の体調がどのような状態なのかはわからない。

だが野球を続けることを希望しているようなのでそこまで悪くない状態なのではと思われる。

独立リーグなどで野球を続けることのできる環境にできることなら所属してほしいものだ。

まだ小さいお子さんもいることだし、まだまだ人生は長い。
少しでも早く快調し、彼が望む形で家族を支えられるようになることを願って今回の記事を終えようと思う。

6年間ありがとう多和田選手!!

また元気よく投げられる時を待っています!